パラリンピックの歴史

1.パラリンピックの歴史
 1944年から、イギリス、ロンドン郊外のエイルズベリー市」にあるストーク・マンデビル病院の脊髄損傷センターで第二次世界大戦で負傷した兵士たちに、次のような原則で集中的に治療を始めたL..Guttmann博士は、筋神経システムのスポーツによるトレーニング効果やレクレーションとして、パンチボール、ダート、ロープクライミング、スキットルやスヌーカーを試した。

1.苦痛と早期死亡の原因となる蓐瘡や尿路感染症から敗血症は、治療方法が充分認識されれば、完全に阻止できる。
2.神経筋システムの再適応力及び代償能力を引出し、高めることによって、余命を伸ばし、自立や社会性を強化することが出来る。
3.外科や内科といった不統一な専門分野の治療から、脊髄損傷の複雑な問題を、多面的に取り扱うことで総合管理が出来る。


この脊髄損傷センターで治療を受けた人たちは、受傷から就業まで6.5ヶ月、そして、その85%有給で就職した。これは、医学的リハビリテーションの手段として、スポーツ取り入れ、その結果が大きかったことが要素と上げられる。
 その後、競技として車椅子によるポロ競技が取り入れられたが、ポロ競技に代わり車椅子バスケットボールが採用された。まや、アーチェリーと卓球も紹介され日常生活の中に、スポーツがたいへん重要な位置を占めるようになってきた。
 1948年7月28日、これは、オリンピックロンドン大会が開催された日である。この同じ日に、ストーク・マンデビルで初めてスポーツフェスティバルが開催され、種目も参加者も次第に増え、1952年には、オランダチームも参加して130名によって競技が行われた。これが第1回国際ストークマンデビル競技大会であり、毎年7月、ストーク・マンデビルにある競技場(L.Guttmann Sports Conter for the Disabled)で競技会が開催されている。第36回大会から名称を「World Stoke Mndeville Wheelchair Games」と呼ぶことになった。
 1960年オリンピックローマ大会の年から、ぜひ、オリンピックの年には、その開催地で実施しようとのL.Guttmann博士らの願いから、1960年ローマ、1964年東京、1968年は高地のため、ラマットガン(イスラエル)、1972年はハイデルベルグ(西ドイツ)で開催された。L.Guttmann博士はこの脊髄損傷のみのこの大会に、その他の身体障害者が参加できるように新たにスポーツ組織(国際障害者スポーツ機構)を設立した。1976年トロント(カナダ)大会には視覚障害者、切断とポリオの3つの障害が加えられた。1981年は、ソビエトで開催が困難であるということからアーヘン(オランダ)で脳性麻痺とその他の機能障害が加えられ開催された。1984年は、アメリカのイリノイ州(ISMGF)とニューヨーク州(IBSA、CP-ISRA、ISOD)の2ヶ所で行われる予定であったが、半年前になってイリノイ州で実施が困難となり、ISMGF関係の大会は、ストーク・マンデビルに会場を移し開催された。1988年は、ソウル(韓国)で、第37回ISMGをかねた第8回PALALYMPICが開催され、初めて、一般のオリンピック大会会場を使用した。この年初めて、ソビエトが参加した。
 1989年に国際パラリンピック委員会(IPC)が発足し、1960年のローマで開催された国際障害者スポーツ大会をパラリンピック第1回大会として数えるようになった。IPCが発足したことで、今まで医学的なクラス分けが機能的クラス分けに変わり、より競技性が高まり、エリートスポーツによる競技会となった。1992年バルセロナ(スペイン)大会は、バルセロナオリンピックの組織委員会がパラリンピックを運営した。この年からオリンピック招致にはオリンピックとパラリンピックがセットとして考えられるようになった。1992年には同じスペインのマドリッドでIPCの参加に加入した知的障害者のパラリンピックが初めて開催された。1996年アトランタパラリンピックでは身体障害者に加え知的障害者の一部の種目が実施された。2000年シドニーパラリニックではIPCの競技すべてに知的障害者の競技が実施された。2000年のシドニーパラリンピックでは、知的障害者のバスケットボール競技でスペインチームの健常者が参加していたこともあり、知的障害者のクラス分けの方法が確立されていないことで、2000年2月にIPCより資格の一時停止措置が取られている。




「パラリンピック」の名前の由来

 第2回大会であるパラリンピック東京大会で初めて、「パラリンピック」という名前を使用されました。
この大会の関係者が大会の愛称を検討する中で、大会に参加する選手が、足(下半身)に麻痺がある人であったことから、下半身の麻痺を意味するパラプレジア(Paraplegia)とオリンピック(Olympic)を組み合わせてパラリンピック(Paralympic)としました。
 東京大会以降は、しばらくパラリンピックという言葉を使用していませんでしたが、1988年の第8回大会(韓国のソウルで開催)から、再び使われるようになりました。この大会からは、パラレル(Parallel=「平行した」とか「おなじもの」という意味)という言葉とオリンピックと組み合わせたものとして使われるようになりました。ですから、この大会以降のパラリンピックは、「もうひとつのオリンピック」ともよばれるようになったわけです。

日本身体障害者水泳連盟の設立


設立:昭和59年4月

ジャパン・パラリンピック

身体障害者の競泳